安倍川餅
おもちらしさにこだわった、甘すぎず飽きのこない上品な味
\ いつ – when /
昭和25年に創業した「やまだいち」は、江戸時代から東海道名物として広く知られた「安倍川もち」を、戦後はじめて復活させたのが「やまだいち」でした。そこには、単に名物の復活というだけでなく「静岡復興の証として」という大きな意味が込められていました。静岡駅での発売に成功した後も、パッケージを工夫して、一人前ずつ小分けにした商品を売り出すなど、お土産としてよりお客様が持ち帰りやすいよう工夫を重ね、全国に静岡名物「安倍川もち」を広めるのに大きな役割を担いました。昭和25年3月17日の発売以来、やまだいちの「安倍川もち」は、静岡のお土産の代名詞として多くの人に愛されてきました。
\ どこで – where /
静岡県静岡市に本社と店舗を「登呂 もちの家」「パルシェ やまだいち」の2店舗を出店しています。「土呂 もちの家」では200年前の奥会津の農家を移築。太い柱や梁、水車の音…、ゆったりとした時間が流れる中、つきたての温かいおもちを味わっていただけます。「パルシェ やまだいち」はやまだいちの全商品が揃うショップです。
\ だれが – who /
こしのある柔らかいおもち
やまだいちが追求するのは、もちらしさのある、こしのあるおもち。契約栽培で仕入れる佐賀産の餅米を使い、胴突きしたものに、砂糖を加えて柔らかく仕上げます。また、毎朝仕込む手づくりの安倍川もちは、より生のもちに近い感触を楽しめるよう仕込み方を工夫しています。
風味豊かな黄粉と餡
安倍川もちの引き立て役となる「黄粉」と「餡」。国産大豆を使い、豆の煎り方や挽き方を工夫して仕上げた黄粉は、きめ細やかで香りよく、淡い色合いが特徴。また、餡もちには、北海道産の小豆を使った自家製の上質なこし餡を使用し、美しい紫色に仕上げています。
\ なにを – what /
安倍川餅はもちらしさにこだわった、甘すぎず飽きのこない上品な味は、やまだいち一番の売れ筋商品です。黄粉もち安倍川餅は徳川家康も食した国産大豆のきめ細やかな黄粉をたっぷりまぶしてお召上がりいた安倍川もちが本編中に登場する『東海道中膝栗毛』の主人公のひとり「喜多八」が描かれた包装紙がやまだいちの安倍川もちの目印です。
\ こだわりは – pride /
お土産に最適なパッケージ
創業者が考案した食べきりサイズの個包装は、遠慮がちな日本人が気兼ねなく食べられると当時好評を博しました。持ち帰りやすいよう工夫を重ね、どの個数でも化粧箱に収るよう設計されています。やまだいちでは、お客様の要望に沿ったお土産を作る努力を続けています。
皇族の方々に愛される味
やまだいちの「安倍川もち」は、天皇皇后両陛下はじめ、皇族の皆様にも幾度となくお買い上げいただいています。昭和32年4月12日には、昭和天皇・香淳皇后が、岐阜県に植樹祭のため行幸された帰途、静岡にご停車のうえ「安倍川もち」をお買い上げになりました。昭和28年、昭和31年に続き、3度目の静岡駅頭でのお買い上げでした。また、昭和34年にはご成婚直後の皇太子ご夫妻(今上天皇・皇后両陛下)にお買い上げ賜りました。昭和40年代に下田市の須崎御用邸が建設中の折には、視察に来られた香淳皇后が「安倍川もち」をご所望になり、下田までお届けしたというエピソードも残っています。平成3年の高校総体の際には皇太子殿下につきたての安倍川もちをご賞味いただきました。平成6年、今上天皇・皇后陛下、静岡県行幸の折には、姉妹品「野趣村情」をお買い上げ賜りました。この他にも、「安倍川もち」は多くの皇族の方々に好まれご賞味いただいています。
感想
・きなこと餡が両方食べられて好き |
・上質なお茶請け、静岡土産に最高 |
・美味しくて止まらないです |
・甘さも程よく、とても美味しい/font> |
カテゴリ
| 和菓子 | 洋菓子 | 食料品 | お饅頭 | お煎餅 | お菓子 | おつまみ | 受賞商品 | お返し品 | 父への贈物 | 母への贈物 | 祖父母への贈物 |
エリア
| 北海道 | 東 北 | 関 東 | 北信越 | 中 部 | 近 畿 | 中 国 | 四 国 | 九州・沖縄 |